大久保 忠隣(おおくぼ ただちか、1553年 - 1628年)、大久保相模守(おおくぼさがみのかみ)は、徳川氏の家臣、2代小田原藩主(在任:文禄3年・1594 - 慶長19年・1614)(1:10)(2:378)

天正(文)22年(1553)、(三河国碧海郡)上和田郷(愛知県岡崎市上和田町)に生まれる(2:378)

文禄3年(1594)、父の初代小田原藩主・大久保忠世の死去に伴い、小田原藩主となった(1:10)。就任当時、忠隣は武蔵国の羽生城主として2万石の大名だったため、小田原藩4万5千石と合わせて、6万5千石の藩主となった(1:10)

20年にわたって小田原藩の領地の開発に携わり、幕政にも参与したが、徳川家康の勘気を蒙って、近江国栗田(太)郡中村郷に蟄居を命じられ、慶長19年(1614)1月に御家断絶となった(1:10)

寛永5年(1628)6月27日に死去、享年76(2:381)

参考資料

  1. 市川幸雄「昔の小田原と西北4部落の成立」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、10-16頁
  2. 堀田正敦ほか『寛政重修諸家譜』巻第707 大久保 宇都宮支流(藤原氏道兼流) 続群書類従完成会版、1965、巻第11、378-381頁、(大久保)忠隣

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