巴御前と木曽義仲の墓(ともえごぜんときそよしなかのはか)は、2022年現在、栢山の善栄寺の本堂前にある、木曽義仲の妾だった巴御前と木曽義仲の墓。
開基?巴御前
『風土記稿』のとき、善栄寺には巴女の位牌があって、法号:善栄寺如意貞信とされており、同寺の開基とされていた(1)。
これに対して『風土記稿』は、『源平盛衰記』によると、巴御前は木曽義仲が没落した後、信濃国に落ち伸びたが、鎌倉に召し上げられ、和田義盛が申し受けてその妻となり、朝比奈三郎義秀を産んだ。和田合戦で義秀が討たれた後、越中国へ行き、石黒某を頼って出家し、91歳で死去したとされている。三浦郡岩戸村(横須賀市岩戸)にも巴御前の墓と呼ばれているものがあるが、全くの虚構に属する、と評している。(1)
再建時期
木曽義仲の五輪塔の地輪の裏面には「義仲公/寿永三甲辰年(1184)/正月廿一日/於近江国卒 明治十一戊寅年(1878)/三月廿一日再建之/当寺/廿二世/鑑納太前代」、同じく巴御前は「巴御前/仁治元庚子年(1240)/五月十五日/於越中国卒 明治十一戊寅年/三月廿一日再建之/当寺/廿二世/鑑納太前代」とあり(2022年調査)、いずれも1878年(明治11)に再建されたものとみられる。