心光寺心光寺(しんこうじ)、月窓山護念院は、東町1丁目にある浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。嘉吉3年(1443)(5)または文安元年(1444)(1)に僧・門栄(繁誉門栄(5)ないし松蓮社貞誉(1)と号した。文安3年・1446没(1))が創建した(1)(5)。江戸時代には京都・知恩院の末寺だった(1)。
沿革
心光寺はもと小田原古新宿町(浜町4丁目あたり)にあり、寛永7年(1630)に火災で焼損した後、現在の場所に移転した(1)。
- このことは、檀家の小田原高梨町(本町と浜町の境、旧東海道と甲州路の分岐点あたり)の住民・助左衛門の家伝に記してあった(1)。
- 『全国寺院名鑑』によると、寛永19年(1642)、中興・乗誉巌栄のときに移転した(5)。
文化14年(1817)19世詳誉のとき、類焼し、再建された(5)。
慶応3年(1867)24世説誉のとき、再び類焼し、1874年(明治7)25世吉水静岳のとき再建された(5)。
1923年(大正12)26世秋田のとき、関東大震災で全壊。翌1924年(大正13)に再建され、1970年に至る(5)。
什宝
本尊
本尊の阿弥陀如来像は像高3尺3寸(約100cm)で、恵心の作とされていた(1)。
徳本関連
1970年当時、徳本の坐像と、徳本筆の名号があった(5)。
境内
1970年当時、境内は450坪(約38.6m四方)、建物は本堂、庫裡63坪(約14.4m四方)(5)。
薬師堂
心光寺 薬師堂境内に薬師堂があったが、文化年間(1804-1818)に災害に遭い、『風土記稿』のときには、再建されていなかった。本尊は海中から出現したとされる薬師如来像で、本堂に安置されていた。(1)
2019年現在は境内に薬師堂があり、薬師如来立像が安置されている(2)。
鐘楼
鐘楼は、『風土記稿』のときには、火災で焼損した後、再建されていなかった。鐘は寛永19年(1642)に鋳造したものだった。(1)
2019年現在は鐘楼がある(2)。
カメ
2014年11月当時、縁起物とされる、甲羅にコケの生えた「蓑亀(みのがめ)」が寺に3疋生息していた。同寺の池で飼っていたカメが産卵した際に、柴田幸博住職が100匹以上孵化させたうちの3疋。(3)
年中行事
徳本御会式
1970年当時、毎年10月5日に徳本御会式を行うとされている。(5)
かめっこ会
2022年(令和4)現在、毎月1回 第2・4火曜日のいずれか、10:00-11:30に心光寺の客室で山王・網一色地区の地域子育てひろば「かめっこ会」が開かれている(4)。
寺紋
寺紋は三つ葉葵(2)。
リンク
- KEN Yoshimune「心光寺 小田原 葵の御紋の謎が解けた! 薬師如来様が みどころです」4travel.jp、2017年9月23日
- 紋谷幹男「第1737回 心光寺(しんこうじ)浄土宗/神奈川県小田原市東町」『お宮、お寺を散歩しよう』2015年9月13日
- 「浄土宗心光寺 ~小田原宿の寺~」『徳本行者ゆかりの寺々』2006年7月11日
参考資料
- 『風土記稿』
- 2019年調査
- 「3万年の縁起物 蓑亀が同時に3匹」タウンニュース 小田原版、2014年11月8日号
-
小田原市子ども青少年部子育て政策課「地域子育てひろば」小田原市公式サイト、更新時期不明
- 「令和4年度 山王網一色地区地域子育てひろば かめっこ会(pdf)」
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.419