山神社旧址(さんじんしゃきゅうし)は、かつて後河原村・入生田村にあった山神社の跡地。神体・祠は、1885年(明治18)以降に入生田の山神社の境内に移されたとみられる。
沿革
『風土記稿』のとき、後河原村には山神社があり、村の鎮守とされていた(1)。
後河原村は1880年(明治13)に入生田村に合併されており(2)、1885年(明治18)稿の『皇国地誌残稿』の入生田村の項には、字石取628番地、石垣山の西側の山腰にある雑社で、旧後河原村の鎮守としてみえる(3)。当時、古い椎の木1株が社地全体に繁茂していた(3)。
『板橋周辺の史跡と自然』によると、1980年(昭和55)10月17日当時、入生田の山神社の境内、社殿と離れた東隣に祀られていた石祠は、旧後河原村の鎮守の山神社が移されたもの(4)。
同書によると、旧社地は、石垣山へ登るときに入生田にかかる早川の橋(太閤橋)を渡った石垣山側の河岸の、橋から10数メートルほど上流だったと伝わっていた(4)。
参考資料
- 『風土記稿』巻26 足柄下郡 5 早川庄 後河原村 山神社
- 「足柄下郡 入生田村」神奈川県図書館協会郷土資料編集委員会 編『神奈川県皇国地誌残稿 下巻』神奈川県立図書館、1964、257-276頁の257頁、1885年(明治18)11月16日稿
- 「足柄下郡 入生田村 山神社(2つめ)」同書264頁
- 田代道弥「大窪公民館成人講座報告 第2回 昭和55年10月17日 長興山から富士山まで」『板橋周辺の史跡と自然』〈板橋の郷土誌(仮称)編集の資料2〉小田原市板橋公民館、1982・昭和57年、9-10頁