七福漁業組合(しちふくぎょぎょうくみあい)は、1902年(明治35)に、元酒匂村長の川辺家信ら、酒匂村・国府津村・小田原町の資産家や事業家が組合員となって結成された漁業組合(1)。
漁業法に基づいて国に対し沖合での漁業権取得の出願を行い、1903年(明治36)4月に国から与えられた小八幡の地先の漁業権の免許を巡って、小八幡漁業組合と争訟になった(1)。
1912年(大正元)に、その頃、全国的に導入が進んでいた大規模な定置型鰤(ブリ)大謀網を小八幡の漁場で採用するため、鰤大謀網の免許も取得(有効期間は20年)(1)。
鰤大謀網ではこの頃、毎年、大漁が続き、1914年(大正3)から次の年ににかけて、1漁期で漁獲数が20万尾から30万尾に及んだ(1)。鮪(マグロ)やサワラも大漁だった(1)。
参考資料
- 内田輝夫「小八幡漁場をめぐる紛争」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、56-58頁