豆相人車鉄道(ずそうじんしゃてつどう、1895年 - 1906年)は、かつて小田原熱海間を人車(人が押して動かす車)で運行していた鉄道。1896年に全線開通、1906年に蒸気で走る軽便鉄道に転換した。

豆相人車鉄道(瀬川1900コマ178)

沿革

1886年(明治19)、豆相人車鉄道会社設立(1)

1895年(明治28)7月13日、熱海吉浜間の1.5(10.5誤)kmが開通(1)

1896年(明治29)3月12日、吉浜-小田原間の14.5kmが開通した(1)(2)

1906年(明治39)10月(2)ないし1907年(明治40)(1)、蒸気で走る軽便鉄道に転換し、人車鉄道は廃止された(1)

人車

人車は、線路を走る車両を人間(車丁)が押して動かす仕組みで、勾配の程度により、車両を押したり、車両に乗ったりして均衡を保っていた(1)

人力に頼っていたため、小田原-熱海間25.9kmを進むのに、4時間かかったという(1)

また、しばしばレールが外れて、怪我人が出ることがあった(1)

小田原の発着所は、小田原町内の熱海道の入口(1994年当時の国道1号線「早川口入口」バス停付近)にあった(1)

発車時刻

国府津駅に到着する東海道線、国府津から小田原間の馬車鉄道と接続していた(3)

路線

路線は相模湾の沿岸を走った(1)

運賃

瀬川1900によると、当時の小田原-熱海の運賃は、下等が60銭、中等がその1.5倍、上等が下等の2倍だった(3)

運賃は人力車の1/4程度だったので、東京から熱海へ行く旅行者の利用も多かった(1)

リンク

参考資料

  1. 宇佐美ミサ子「馬車鉄道から軽便鉄道まで」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、24-25頁
  2. 「年表」同書148-151頁
  3. 瀬川1900:「豆相 人車鉄道」瀬川光行 編『日本之名勝』史伝編纂所、1900・明治33、国立国会図書館本コマ178

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