酒匂神社(さかわじんじゃ)は、酒匂2丁目にある神社(1)。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。1877年(明治10)に、酒匂村の鎮守だった駒形(権現)社と八幡社を合祀して酒匂神社と改称。酒匂村内の諸社も合祀している。江戸時代の駒形社・八幡社は、酒匂の南蔵寺を別当寺とし、本地十一面観音を祀っていた。往時の例祭は旧暦7月7日だったが、2009年現在は4月の第1日曜日。
沿革
『風土記稿』のとき、酒匂村には南蔵寺持ちの駒形社(駒形権現社)と八幡社があり、2社とも村の鎮守とされていた(5)。南蔵寺は、『東鑑』の建久3年(1192)の記事に「福田寺酒匂」としてみえる寺院とされ、その本尊・十一面観音は、駒形社・八幡社の本地仏とされていた(5)。
『所領役帳』に、北条幻庵の内室の知行の中に「四拾貫弐百五十文(40貫250文) 同(西郡) 酒匂内駒形分 同(庚辰(永正17・1520)検地辻)」(7)とあるのは、駒形社のことと推測されている(5)。
元和7年(1621)に、領主の阿部備中守正次は、先例の通り供免5石を寄進した(5)。村民・(小島)徳右衛門の家乗(家記)に、寄進状の案文があり、「相州西郡酒勾郷、駒形権現社領之事、田畑五石地也、但御供免、御祭免、御造家免、右之分如前々之相違有間鋪者也、元和七年(1621)十二月、阿部備中守内、内藤覚右衛門印、下宮理右衛門印、小島主水へ参」と記してあった(5)。
『風土記稿』のときも、社地のほかに供免5石6斗余の除地が寄進されていた(5)。
明治元年(1868)以降、神仏分離令発出(別当寺廃止)(3)。
1877年(明治10)4月に、別地にあった八幡社を駒形社に移し、合祀して、酒匂神社と改称した(3)。
(時期不定で、酒匂村内にあった)金山社、諏訪社、十二天社、白山社、雷電社、明神社(神明社?)、山王社、七夕社も合祀された(3)。
- 現地案内板において、明治期に酒匂神社に合祀されたとされている諸社の名は、およそ『風土記稿』で酒匂村内にあったとされている南蔵寺持の諸社の名と合致しているが、「神明社」はあって「明神社」はなく、山王社は2社あったとされているが、2社とも合祀されたか定かでない(3)(5)。また「白山社」と「七夕社」は無い。現地案内板は「棚機(七夕)社」がもともと八幡社に合祀されていたと考えているようであるが(3)、『風土記稿』の八幡社の項には無い。白山社については未詳。
神体
『風土記稿』のとき、酒匂村の鎮守の駒形社の祭神は鸕鶿茅葺不合尊(ろじ(う)かやふきあえずのみこと)で、神体は像高2尺(約60.6cm)の木造の立像だった(5)。本地は十一面観音で、別当寺(南蔵寺)の本尊とされていた(5)。
また「当社御生題(正体)」と号して、銅鏡面に像を鋳出したものが別当寺に安置されていた(図)(5)。天文22年(1553)に岡部出雲守広定が寄進したものだった(5)。
同じ時に小島左衛門太郎正吉も生題2面を寄進したが、これらは中古に失われていた(5)。その末裔の村民・徳右衛門の家乗に、その銘の写しがあり、「奉寄進駒形大権現御生題、相州西郡酒勾郷、檀那小島左衛門太郎正吉、天文廿二癸丑(1553)七月二日」と記されていた(5)。
境内
神殿
『風土記稿』のとき、酒匂村の鎮守の駒形社の境内には、幣殿・拝殿などがあり、(拝殿には)寛永5年(1628)の鰐口が掛けられていた(5)。社地には供所があった(5)。
神木
『風土記稿』のとき、酒匂村の鎮守の駒形社の境内には、神木とされている幹囲1丈8尺(約5.5m)の古い松の木1株があった(5)。
同じく八幡社の境内には、神木とされている幹囲1丈1尺5寸(約3.5m)の松の木1株があった(5)。
酒匂神社境内のマツ・クスノキなどの樹林(面積2,800m2)は、1974年(昭和49)4月1日に小田原市の保存樹林に指定されている。
境内社
2022年現在、拝殿の手前左側(西側)にトタン外壁の境内社があって、中に石造物5体かそれ以上が安置されていた(写真)(4)。
年中行事
『風土記稿』のとき、酒匂村の鎮守の駒形社と八幡社の例祭は旧暦7月7日で、2社の神輿を担いで村中を巡行していた(5)。
酒匂神社の例祭の期日は、大正末期(大正15・1926)に(新暦?)7月7日から4月7日に変更され、2009年現在は4月の第1日曜日となっている(3)。
月日 | 祭礼名 |
2/11 | 祈年祭 |
4月の第1日曜日(注) | 例祭 |
6/30 | 大祓 |
11/23 | 新嘗祭 |
12/29 | 大祓 |
資料:神奈川県神社庁(2) 注:例祭の月日は、神奈川県神社庁ウェブサイトに「4月7日」とあるが(2)、現地案内板「酒匂神社の由来」によった(3)。
リンク
- 著者不明「酒匂神社」『依代之譜(よりしろのふ)帝国陸海軍現存兵器一覧』2007年4月4日作成、2020年2月6日更新
- 大侘坊「小田原酒匂界隈(酒匂神社)」『大佗坊の在目在口』2016年5月10日
- nekata「神奈川県小田原市の石造物(はじめ系狛犬)」『石仏探訪 ー高遠石工の作品を訪ねてー』2019年1月30日
- YouTube「酒匂神社 例大祭」の検索結果
参考資料
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>酒匂神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
- 著者不明「酒匂神社の由来」現地案内板、2009年(平成21)3月、2022年閲覧
- 2022年調査
- 『風土記稿』
- 『新編相模国風土記稿』国立公文書館 内閣文庫 請求番号173-0190 第18冊 コマ43(巻36 酒匂村 駒形社)
- 佐脇栄智 校注『小田原衆所領役帳』東京堂出版、1998、170-173頁「御新造知行分」の172頁
- 小田原市ふるさとみどり基金「小田原市指定保存樹林」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧