市川 慶助(いちかわ けいすけ)は、明治後期から昭和初期の小台の人。明治末期に、青年会に若衆宿として利用できる施設を提供、俳句習字の指導をした。1924年12月から1927年2月まで小台の区長。

経歴

明治末期(明治45・1912)、青年団を指導し、自身が管理していた海軍軍人・鍵和田専太郎の留守宅(小台128番地)にあった藁葺の物置を改造して、青年会の若衆宿として利用できるようにした(富水西北公民館の前身)(2:76)

青年会では習字俳句の指導もしていた(2:77)新屋稲荷神社の拝殿の欄間に掲げてある1900年(明治33)の奉納俳句に俳号・一蓑でみえる(2:77)桧笠庵小蓑とも号した(2:78)

1924年(大正13)12月16日から1927年(昭和2)2月21日まで、小台の区長を務めた(3:61)

1930年(昭和5)に小台・蓮乗寺の大規模修繕が行われた際に、綾部粂次郎、石井安次らと共に世話人を務めた(1)

参考資料

  1. 松蔭徳誠「小台 蓮乗寺(沿革と縁起)」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、17-21頁
  2. 津田サキ子「富水西北公民館の移り変り」同書76-84頁
  3. 綾部一雄「西北地区自治会の沿革 その1」富水西北史談会 編『富水西北の歴史 第2巻』富水西北公民館、1985・昭和60、57-62頁