『民衆』(みんしゅう)は、1918年(大正7)1月に福田正夫らが小田原で創刊した詩誌(1)。
福田のほかに、井上康文、津田光造、小栗又一、花岡謙二、牧雅雄ら小田原在住の若い詩人が、平易な口語自由詩の詩作を発表し、「民衆詩派」と呼ばれた(2)。
同年3月に小田原へ移住してきた北原白秋と「民衆詩派」の人々との間には交流もあったが、白秋は「民衆詩派」の詩風に対しては批判的だった(2)。
1921年(大正10)1月、『民衆』は第16号をもって廃刊となった(2)。
参考資料
- 「年表」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、148-151頁
- 播摩晃一「近代文芸の先駆北村透谷」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、26-27頁