この界隈(かいわい)が鍋町と呼ばれていた理由は、江戸幕府の御用鋳物師(ごよういもじ)をつとめていた、椎名山城(しいなやましろ)が屋敷を構えていたためと伝えられています。鋳物師とは、鍋(なべ)や釜(かま)をつくる職人のことです。ほかに御腰物金具師(おこしものかなぐし)や御印判師(ごいんばんし)なども住んでいました。 鍋町に住んでいたのは、このような御用職人ばかりではありません。文政(ぶんせい)七年(1824)の『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』によれば、紅(べに)や白粉(おしろい)などの化粧品、傘(かさ)、菓子(かし)、釘(くぎ)や打物(うちもの)などを扱う各種の問屋をはじめ、馬具や武具をつくる職人まで店を構えて住んでいたことがわかります。江戸時代、この界隈は鍋のような日用品から馬具や武器まで、多種多様な商品がそろう町でした。