伝肇寺 入り口伝肇寺(でんじょうじ)、樹高山西照院は、城山4丁目にある浄土宗寺院。本尊は三尊阿弥陀。江戸時代には京都・知恩院の末寺だった。(1)

沿革

縁起

風土記稿』にある寺伝によると、正安2年(1300)に無極斎という道心者(僧)が草庵を結んで数年間、閑居したことがあり、その後、永徳年間(1381-1384)に至って、良肇(永享11年・1439没)が取立てて一寺とした(1)

4世感誉存貞は、伝肇寺で剃髪し、後年に住職となった。俗姓は後北条氏の家臣・大道寺駿河守某の甥で、最後は江戸・三縁山(増上寺)10世の住職となった(1)

  • 『全国寺院名鑑』によると、3世道誉も、のちに増上寺9世になったという(3)

後北条氏時代

山角町(城山)への移転

『風土記稿』は、伝肇寺は、往古は筋違橋町(本町南町)の、大蓮寺と東側の道を挟んだ向かい隣にあり、北隣は北条陸奥守氏照の邸宅のあたりにあった、と推測している(1)

奥州屋敷構要害之内へ不入而雖不叶地形候、寺内可鑿事、無心候付而、先打過候、此度火事出来与云、とても不鑿而不叶地与云、此節申付候、堀よりも内之分之地形、何間も候へ、於他所々望次第可渡置候、扨又堀よりも其寺之方者、勿論可為随意間如此間在寺尤候、堀端三尺置、木を成共、薮を成共植、寺をかこはるべく候、仍如件、三月三日、伝肇寺、[虎朱印]、

天正15年(1587)に、朝倉右京進の領地の中の土地を購入して、現在の場所に移転した(1)

伝肇寺就訴状、朝倉右京進以論書遂糺決畢、然而右京進知行之内、為寺屋敷買得、被改替、遅々に付而、以利米可請取旨難申、証文無之上者、右京進申所不可有之旨、依仰状如件、天正十五年丁亥(1587)卯月廿八日、伝肇寺、評定衆(山角)上野介康定[花押][虎朱印あり]

拙者私領大窪分之内、八貫百文之所、東は山角上野介方薮際、西者山中大炊助方薮際、北者新堀之はたを限、南は井神之森際、但古道を限而東之分、無事貢永代売渡申候於後年棟別諸公事等、不可有之候、然者右之替代、如大法六増倍之積、兵粮雖百六十二俵候、江雪斎御指引付而、弐貫弐百五十文之兵粮指置、残所無未進請取申者也、仍後日状如件、丁亥(1587)六月二日、伝肇寺参、朝倉右京進[花押]

『風土記稿』は、この書状にみえる四方の地名から考えて、移転先は『風土記稿』当時の寺地とよく合っている、と評している(1)

伝肇寺新地屋敷之儀、朝倉右京進知行之内、永代買得不可有相違、諸役令免許候、猶横合非分之族有之者、可有披露者也、仍如件、天正十六年戊子(1588)六月廿一日、伝肇寺宗悦奉之、[虎朱印]、

天正16年(1588)6月に、寺内の制札を出している(1)

禁制、竹木伐取事、於寺内殺生之事、法事之砌喧嘩口論之事、以上、右背掟横合非分之輩有之者、可遂披露、可処厳科者也、仍如件、天正十六年戊子(1588)六月二十一日、伝肇寺、宗悦奉之、[虎朱印]、

その他

またその他に、制札1通が所蔵されていた。年代は不詳。(1)

禁制、右軍勢甲乙人等、当寺四壁之竹、剪取狼藉之族、堅令停止畢、若至違犯之輩者、可有披露、可処厳科旨、被仰出者也、仍如件、卯月廿六日、伝肇寺、[虎朱印]、

天正18年(1590)2月に、証人を寺に寓宿させた(1)

松田取次之証人衆、其寮舎共に此度一廻可被指置候、若狼藉非分之儀有之者、速可有披露候、仍如件、庚寅(天正18・1590)二月晦日、伝肇寺、江雪奉之、[虎朱印]、

みみづくの家

明治(1868-1912)・大正年間(1912-1926)に寺門が衰退(3)。36代・千葉満定が復興に努め、1970年当時の本堂を完成した(3)

1919年(大正8)に、北原白秋が寺内に「みみづくの家」を建設した(3)

1957年(昭和32)5月に、「みみづくの家」跡に北原白秋の詩碑記念館が建立され、落成式が行われた(4)

仏像

『風土記稿』のとき、本尊の三尊阿弥陀のほかに、地蔵像が安置されていた(1)。像高2尺1寸(約63.6cm)、伝行基(1)

境内

伝肇寺 本堂1970年当時、境内は398坪(約36.3m四方)。建物は、本堂52坪(約13.1m四方)。庫裡。山門。(3)

地蔵堂

『風土記稿』に、石像が安置されていたとある(1)。1970年当時も存在(3)

観音堂

『風土記稿』のとき、境内に観音堂があり、千手観音が安置されていた(1)

境内社

『風土記稿』のとき、境内に稲荷社熊野社があった(1)

みみづく幼稚園

2019年現在、境内はみみづく幼稚園の園庭になっている(2)

1970年当時、境内に鉄筋造の園舎講堂があった(3)

寺紋

寺紋は三つ鱗抱き茗荷(2)

リンク

参考資料

  1. 風土記稿
  2. 2019年調査
  3. 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.419
  4. 40周年記念誌編集委員会『未来へ 私たちの公民館 小田原市中央公民館40周年記念誌』小田原市教育委員会 中央公民館、1990年12月、33頁

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