宗我神社 入り口宗我神社(そがじんじゃ)は、曽我谷津にある神社(1)。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)

沿革

風土記稿』のとき、曽我谷津村には、吉田家配下の神主・尾崎双が管理する小沢明神社があり、曽我里6村の惣鎮守とされていた(3)

尾崎氏は、中興の祖を播磨(尾崎播磨守)といい、承応2年(1653)からの免状を所蔵していて、小沢明神社のほかに、曽我谷津村の稲荷社(近津稲荷)、五郎社および不動社千代村三島社を管理していた(3)(4)

また曽我谷津村の法輪寺持ちの薬師堂には「小沢山神宮寺」の号があり、像高3尺(約91cm)、伝恵心作の木造の(薬師如来)座像が安置されていて、小沢明神社の本地仏とされていた(3)

小沢明神社は、慶長年間(1596年 - 1615年)に災害にあって、什宝を焼失したといわれていた(3)

また供免3石7斗余を付されていて、元和3年(1617)、代官・中川勘助某のとき、旧例によって除地とされていた(3)

神体

『風土記稿』のとき、曽我谷津村の小沢明神社には、祭神として、中央に小沢明神、左に応神天皇、右に桓武天皇の3座が祀られていた(3)

  • 小沢明神は木像で、鎮座の年代は不明とされていた(3)
  • 応神天皇は幣束が安置されており、曽我祐信鶴岡八幡を勧請したといわれていた(3)
  • 桓武天皇は木像で、後北条氏が、小田原城の鬼門の守護として、平氏の大祖を勧請して祈願所にしたといわれていた(3)

境内

鐘楼

『風土記稿』のとき、曽我谷津村の小沢明神社の境内にあった鐘楼の鐘は、明和7年(1770)の鋳造だった(3)

末社

『風土記稿』のとき、曽我谷津村の小沢明神社の境内には、7座(彦安明神神明浅間弁天山神大国主命大代主命)相殿の末社と、稲荷社2社があった(3)

年中行事

『風土記稿』のとき、曽我谷津村の小沢明神社の例祭は旧暦9月29日だった(3)。例祭では神輿巡行の儀式が行われ、四神鉾・弓・鉄炮・長刀・鑓・舞獅子・立傘・挟箱などの鹵簿(行列)があった(3)。引舞台を出して、曽我原村字神戸にある、殿沢川の川崖で神事が行われた(3)

月日 祭礼名
1/1 歳旦祭
2/11 梅祭り
4/17 春季例祭
9月最終日曜日 例大祭
11/23 新嘗祭
12/31 除夜祭

資料:神奈川県神社庁(2)

リンク

参考資料

  1. 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
  2. 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>宗我神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
  3. 『風土記稿』38 足柄下郡 17 曽我里 曽我谷津村 小沢明神社、薬師堂
  4. 『風土記稿』35 足柄下郡 14 成田庄 千代村 三島社

Pages tagged “宗我神社”

Add new "宗我神社"