西北(さいぼく)、富水西北(とみずさいぼく)は、旧富水村の西北にあたる、狩川と仙了川に挟まれ、富士道を中にして、南北に開けた田園地帯(1)。柳新田、小台、新屋、清水新田の4部落から成る(1)。
富士道の富水西北公民館の辺りは、熱海線(2023年現在の東海道線)が国府津から小田原まで延伸される(1920年10月(4:20))以前は、国府津で下車した道了尊参りの講中が歩いて関本まで向かう途中で休憩する場所で(2)(3)、大正の頃(1912年 - 1926年)、1月・5月・9月の28日は道了尊の大祭日にあたり、人手があるため、沿道には様々な店が出た(3)。また当時は産業道路としても重要で、栢山から堀之内の間の経済の中心地でもあった(3)。
1992年(平成4)4月に小台地区の南部・池田地区に自治会が発足し、5自治会となった(5)。
参考資料
- 穂坂正夫「まえがき」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59
- 井上春江「ふるさとの径(こみち)」同書1-3頁
- 額田常子「大正初期の生活」同書3-5頁
- 松浦正郎「小田原が生んだ 辻村伊助と辻村農園」箱根博物会、1994
- 小田原市公民館連絡協議会『公民館 市公連40年のあゆみ』同左、1993・平成5年2月、39,77-82頁
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