三浦清宏(1930〜)「海洞 アフンルパロの物語」
小説「海洞 アフンルパロの物語」において、主人公の清隆が「自分と他者の違いとその有様を受け入れて行く」作業の中で、室蘭を知る、その象徴として、そして、物語の舞台として、この小説のタイトルとなった海辺の洞窟(アイヌ語でアフルンパロ)について、清隆の従兄弟として登場する孝男が清隆に洞窟の伝説を説明する箇所がある。海洞「第三部」海洞の契りで「人が成長するということはそれぞれの違いを敬意を持って受け入れることにより得られる褒美のように思えた」と結んだ菅原さんは、後にこう語った。「異邦人としての自分を受け入れる。自分以外の方の生き方を理解して受け入れることで、自分自身と真に向き合うことが出来たのだろうとこの海洞を読んだ感想を
私自信が持つ事が出来ましたし、海洞を読んだことがきっかけとなり、他の室蘭ゆかりの作家さんの作品の中に、他者を認めるという共通したキーワードが隠さ れているようにも感じたのです」。
三浦は「アフルンパロ」について、知里真志保の「あの世の入口」 ―いわゆる地獄穴について―〈初出:「北方文化研究報告 第十一輯」1956(昭和31年)年3月〉に学んで創作したものと思われるので以下に引用する。
同時に三浦は伝説の多様性を織り込んでいるので、真志保の引用元「この二つの洞窟はおたがいに通じており(永田方正『北海道蝦夷語地名解』第四版、192ページ)、下は地獄に達していると云って、アイヌははなはだ恐れきらっている。(『室蘭市史』上巻、31ページ)」を当たっている可能性も十分にある。
主人公の清隆が学ぶ「アフルンパロ」は従兄弟の孝夫が語る形で登場する
主人公の清隆が室蘭を従兄弟で写真家の孝男に案内されていた。「アフルンパロの伝説を話してあげてください」(p78.第一章武林写真館、第三章海洞アフルンパロ)と女に促された孝男の話がまとめられている。 「昔、妻を失ったアイヌの男がいた。嘆き悲しんで毎日家に閉じこもっていたが、ある日仲のいい友達がやってきて、磯魚を捕りに行こうと誘った。男も何となく行く気になり、それぞれ舟を出して海に出た。磯伝いに行くと岩場で女が一人昆布を採っている。その姿が男の死んだ女房に似ていた。男と友達は舟を岩に繋いで上陸し、近寄っていくと女が振り向いた。間違いない。妻だ」(p78
.同) この後、洞穴に逃げ込む妻を追い、あの世に行き、早く現世に帰るように諭され、帰ってきたものの、すぐに死んでしまうという話が続く。
知里真志保が聞き取り、著した文字の中に以下のような記述がある。近隣の聞き取りの中で、特に、室蘭に伝わる知里イシュレクエカシの話から、マスイチ浜に伝わるものを参考にしたと思われ、最後まで小説の重要な舞台となっている。
真志保の記述の中に、物語の舞台が現れる
(2)室蘭のアフンルパロ
室蘭市内、港(みなと)町から小橋内(おはしない)に行く途中の海岸にあるアフンパロ、あるいはアフンルパロとよばれる洞窟がある。また、外海の方にも電信浜からマスイチの浜へ出て行く途中の海岸にそういう名の洞窟がある。この二つの洞窟はおたがいに通じており(永田方正『北海道蝦夷語地名解』第四版、192ページ)、下は地獄に達していると云って、アイヌははなはだ恐れきらっている。(『室蘭市史』上巻、31ページ)
二つの洞窟がおたがいに通じていて下は地獄に達しているというのは、あの世へ行く道が途中で二つに分れていて、一方はそのままあの世へ通じ、他方は外部 にある他の洞窟に通じているということで、後出のいくつかの伝説が示すように、北方へ行くとそれはふつうの考え方である。なお、ここで地獄といっているの は、もちろん下方の国(ポクナシル)、すなわちあの世のことである。従ってそれを地獄という語で云い表すのは、前にも云ったように、まちがいである。ま た、これらの洞窟を、アイヌがはなはだ恐れきらって いるという記録は、はなはだ重要である。そういう感情は、もとへさかのぼれば、そこは神聖な場所で、近づくのがタブーだったことを示すものであろう。な お、ここにも次のような伝説がからんでいる。
ある首領(ニシパ)が妻に死なれて悲観(イモキリ)して、寝てばかりいたが、ある日ふと気が変って磯へ出てみると、女が手さげ袋(サラニプ)を持ってこ んぶを取っている。近よってみると死んだ妻だったので、捕えようとするとアフンルパロに逃げこんでしまった。それを追ってあの世へ行ったけれども、さとさ れて帰って来た。しかし一週間ほどして死んでしまったという。(幌別出身、故知里イシュレ翁談)ここに入った人の話はきいたことはないが、犬を入れてやるとぜったいに出てこないということである。
(元室蘭(もとむろらん)、室村(むろむら)三次郎翁談、――更科源蔵『北海道伝説集、アイヌ篇』19ページ)
青空文庫より。