飯田神社(いいだじんじゃ)は、飯田岡にある神社(1)。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。江戸時代、飯田岡村と柳新田村鎮守とされていた八王子社を前身とする。明治2年(1869)「飯田神社」に改称、祭神が変更された。1873年(明治6)に飯田岡村の村社に指定、1914年(大正3)に小台日枝神社稲荷神社新屋稲荷神社および柳新田稲荷神社を合併、翌年神饌幣帛供進神社に指定された。1934年に小台の日枝神社と稲荷神社、1947年に柳新田稲荷神社と新屋稲荷神社が分離された。2022年現在、祭神として八王子大権現と吉備津日子命が併記されている。

合祀時代の祭礼は賑やかで、祭礼に参加した周辺部落の人達からハチオッつあん(八王子さん)と呼ばれていた(6)(7)

飯田神社

沿革

飯田神社  入り口

風土記稿』のとき、飯田岡村には村持ちの八王子社があり、飯田岡村と柳新田村鎮守とされていた(3)。また往古は新屋村小台村も産神にしていたといわれていた(3)

同書によると、元禄5年(1692)の棟札に、初めは飯田岡村の小名・若宮小路にあったが、文和年間(1352-1356)の洪水の後、当時の社地に遷座したと記されていた(3)

明治維新廃仏毀釈により、明治2年(1869)に、八王子社は飯田神社と改称、祭神は、神仏習合の神である八王子大権現から、若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)に変更された(4)

1873年(明治6)、飯田岡村の村社に指定された(4)

1875年(明治8)、旧地から遷座(4)

1914年(大正3)3月に、小台の字荒井島(1984・昭和59年当時の、小台日枝神社の一の鳥居のあたり)にあった日枝神社、小台の字屋敷添にあった稲荷神社、新屋の字川久保にあった稲荷神社および柳新田の字屋敷添にあった稲荷神社(4社はいずれも無格社を合併した(6)

  • 飯田神社の現地案内板には、1914年(大正3)に小台の日枝神社と稲荷神社を合併し、1917年(大正6)に柳新田の稲荷神社と新屋の稲荷神社を合併した、とある(4)

1915年(大正4)、神饌幣帛供進神社に指定された(戦後に指定解除)(4)

1934年(昭和9)、小台の日枝神社と稲荷神社を分離(4)

1947年(昭和22)、柳新田の稲荷神社と新屋の稲荷神社を分離(4)

2022年現在、境内の案内板には、祭神として「若日子建吉備津日子命」と「山王総本宮八王子大権現」が併記されている(5)

神体

『風土記稿』のとき、飯田岡村の八王子社の神体は、それぞれ像高5寸(約15cm)の木像だった(3)

年中行事

月日 祭礼名
1/1 歳旦祭
3/28近い日曜日(注) 秋(春?)季例大祭

資料:神奈川県神社庁(2) 注:『風土記稿』のとき、飯田岡村の八王子社の例祭は、仲春(旧暦2月)と仲秋(旧暦8月)の21日だった(3)

参考資料

  1. 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
  2. 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>飯田神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
  3. 『風土記稿』成田庄 飯田岡村 八王子社
  4. 著者不明「飯田神社 由来」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
  5. 著者不明「飯田神社御祭神」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
  6. 綾部寿美子「小台日枝神社(沿革と縁起)」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、21-25頁
  7. 坂正夫「柳新田稲荷神社(沿革と縁起)」同書30-32頁

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