春光院 本堂春光院(しゅんこういん)、安楽山浄土寺は、鴨宮にある浄土宗寺院。本尊は三尊阿弥陀。建久9年(1198)、鎮西聖光上人(嘉禎4・1238没)により創建。江戸時代には京都知恩院の直属の末寺で、末寺7ヵ寺を有した。(1)(6)

沿革

創建

建久9年(1198)に鎮西聖光が富士浅間大明神の夢のお告げにより開山したと伝わる(1)(6)

中興開山は経誉吟公(1)

九思館

1873年(明治6)6月、明治5年(1872)の学制発布を受けて、九思館が開設された(3)

震災後の再建と星崎定五郎

1923年(大正12)、関東大震災で全壊(6)

1931年(昭和6)8月に、日本に一時帰国した矢作出身の実業家・星﨑定五郎草柳竹次郎から、山門と安楽橋の改築費として1千円余の寄附を受けた(4.1)

1933年(昭和8)(4.1)ないし1934年(昭和9)(6)に本堂と庫裡が再建された。春光院から再建計画を提示された星崎定五郎は、自身の父の存命中に再建してくれるなら出来るだけのことをすると約し、総工費16,800円のうち1万円を米国から送金した(4.1)。このとき再建された本堂は1970年当時も現存した(6)

1950年(昭和25)に梵鐘の再鋳費として星崎定五郎、草柳ら4名から27万円、1952年(昭和27)の星﨑の母の没後に山内修築費として10万円の寄進を受けた(4.2)

什宝

春光院縁起

『鎮西聖光記』(6)

石灯籠

天明10年(文明10年・1478誤か)に太田道灌が寄付したという石灯籠があった(6)

境内

江戸時代の寺域は矢作村と鴨宮村に跨がっており、境内の1段7畝余(510坪、約41m四方)は矢作村内の除地、5段1畝余(1,530坪、約71m四方)は鴨宮村内の除地で、鴨宮村の寺域の方が広かったが、大門が矢作村にあったため、矢作村に属する、とされていた(1)

1970年当時の境内は912坪(約54.9m四方)、建物は本堂が60坪(約14.1m四方)、庫裡76坪(約15.9m四方)(6)。墓地は869坪(約54m四方)(6)

山門

1970年当時の山門は江戸後期の建立(6)

鐘楼

春光院 鐘楼風土記稿』のとき、鐘楼には、元禄2年(1689)鋳造の鐘が掛けられていた(1)

1970年当時の鐘楼は、宝暦12年(1762)の建立(6)

 

星崎氏の墓所

2022年当時、境内の墓地に星崎氏の墓所があった(8)

天神社

『風土記稿』のとき、境内に天神社があり、幾久川天神と称していた(1)

2022年現在、菊川県道718号線を挟んで本堂の向かい側に、菊川天満宮がある(7)(8)

春光保育園

2009年当時、境内に春光保育園があった(2)

イチョウの木

市文化部文化財課ウェブサイトによると、境内にあるイチョウの木は、目通り幹囲が4mを超える巨木(5)

年中行事

1970年当時、春・秋の年2回、「百万遍念仏法要」が行われていた(6)

寺紋

春光院 山門扉の寺紋(丸に立ち葵)寺紋は「丸に立ち葵」(写真参照)抱き杏葉(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 『風土記稿』
  2. 春光保育園ウェブサイト > 園の環境、最終更新 2009年8月29日
  3. 星崎定五郎(述)石井富之助(編著)『移民の先駆者 星崎定五郎』星崎定五郎翁伝記刊行会、1959
  4. 小田原市図書館管理係「星崎定五郎」小田原市公式ウェブサイト、最終更新2011年4月1日
    1. 第11章 老父母を見舞う
    2. 第15章 戦後十年
  5. 小田原市文化部文化財課「天然記念物・勝福寺の大イチョウ 1樹」小田原市公式サイト、2022年9月27日更新
  6. 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.419
  7. さんわ会25周年記念誌編集委員会『下府中地域 我が町の今と昔』さんわ会、2000、49-50頁
  8. 2022年調査

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