岡村菊叟 について知っていることをぜひ教えてください オカムラキクソウ 寛政12年(1800年)生-明治17年(1884年)没 高遠藩の老職,国学者 岡村忠鼎の子 諱は,忠輔,忠者 号は,菊叟,箕園,観瓓堂,鶯老 文政元年(1818年),父の後を受け内藤家に出仕し,風伝流の槍術師範となった 文政6年(1823年),荻野流の砲術師範になり,その後,総師範となった 天保3年(1832年),藩主に建言し,産業開所を設けた 天保11年(1840年),老職に就いた 弘化元年(年),芝平山に石灰を焼かせ,大曾倉村,御堂垣外,黒河内村でも石灰を焼かせた 嘉永6年(年),京都西陣から職工の神宮安五郎を伴って,機織の工場を設けた 国学は,栗原柳庵,植村茂岳,中村中倧に学んだ 門人に阪本俊英,黒河有朝を出した