飯泉観音(いいずみかんのん)、飯泉山勝福寺(しょうふくじ)は、飯泉にある真言宗東寺派の寺院。本尊は十一面観音。坂東33観音の第5番札所。江戸時代には、国府津の宝金剛寺や小田原(浜町)の蓮上院から供僧があった。(1)
毎年12月17・18日に境内でだるま市が開かれている。
沿革
創建、千代からの移転
『坂東三十三所観音霊場記』によると、本尊の十一面観音は、三国伝来の(インドから中国を経由して日本に伝わった)仏像で、天平勝宝3年(751)に唐の楊州(揚州)大明寺の僧・鑑和将(鑑真和尚)が日本に来て孝謙天皇に献上し、天皇が弓削道鏡(宝亀3年・772没)に下賜したもの。宝亀元年(770)に道鏡が流罪となって下野国へ向かう途中、千代を通りがかったときに、縁起のいい土地だとしてここに堂宇を立てて安置した。その後、天長7年(830)に飯泉に移した。(1)(4)
千代にあった頃は、「補陀落山」と号していたという(1)。
『風土記稿』によると、千代の大乗院の隣地に飯泉観音の堂蹟があって、周辺の字名に痕跡が残っていた(2)。また走湯山文書に「暦応四年(1341)十二月、走湯山領千葉郷内観音免」とみえ、千葉郷は千代にあたることから、天長に移転したとの寺伝は疑わしく、この頃までは千代にあったと推測されている(1)。
坂東札所
永延2年(988)に坂東札所に定められたという(1)。坂東33観音公式サイトには坂東33観音は「鎌倉時代初期に開設された」とある。
『東鑑』には「弓削寺」として、『和漢三才図会』には「飯泉寺」としてみえる(8)。詠歌に、
かなはねば 助け給へと 祈る身に 船に宝を つむは飯泉 |
とある(8)。
戦国時代
永禄5年(1562)12月に、後北条氏が山中の法度書を出している(1)。
法度、飯泉山諸役免許事、押買狼藉事、喧嘩口論事、以上、右三箇条、堅令停止候、於違犯輩者、速可被処罪科者也、仍如件、壬戌(永禄5・1562)十二月十日、町奉行小笠原殿代北条氏虎朱印、 |
また天正17年(1589)正月に神馬銭の事について指示を受けている(1)。
丑正月御神馬銭九貫文、秩父勝菊代前より請取之、飯泉之供僧別当に可相渡者也、仍如件、己丑(1589)正月廿五日、北条氏虎朱印、 |
江戸時代
慶長4年(1599)5月に大久保相模守忠隣により、山中の掟が発せられている(1)。
飯泉山如前々諸役免許之事、諸事共如前師之可為仕置事、坊中屋敷六供、并別当陰居定夫屋敷共、但右之内大徳坊屋敷如前別当之、観音仏供領之内に寄附被成申者也、仍如件、亥(慶長4・1599)五月廿三日、聖知院、白幡与四右衛門、花押、 |
什宝
本尊
本尊の木造十一面観音立像は、高さ2尺8寸(約85cm)。毘首羯摩が赤栴檀の御衣木(みそぎ)で作ったといい、33年ごとに御開帳をしていた。(1)
前立
前立に慈覚大師作の十一面観音が安置されていた。木造の立像で、高さ5尺8寸(約176cm)。(1)
扁額
7間(約12.7m)四方の御堂に月舟筆の「普門閣」の三字が扁されていた。(1)
その他
『全国寺院名鑑』に記載のあるもの(7)。
- 天平期の花瓦屋根瓦
- 北条氏康ほかの古文書(上述)
- 豊臣秀吉の制札
- 徳川家康の書翰(後述)
- 大久保忠増の印書
- 天保10年(1839)の大相撲番付
境内
1970年当時の境内は3,573坪(約109m四方)(7)。
仁王門
宝暦8年(1711)建立(7)。
四脚門(7)
位牌堂(7)
本堂
2016年現在の本堂は、棟札から宝永3年(1706)に再建されたものとみられている(3)。老朽化に伴い、1969年(昭和44)に改修が行われた(3)。
金堂
81坪(約16m四方)(7)。宝永2年(1705)の建立、県の文化財(7)。
庫裡
40坪(約11.5m四方)(7)。
鐘楼
鐘楼の鐘は寛永6年(1629)の鋳造(1)。
水屋
水屋の龍頭舟型青銅(水鉢)は市の文化財(7)。
札堂
札堂には、十一面観音が安置されていた(1)。
大日堂
大日堂には、馬頭観音が祀られている(1)。
入定塚
由来不詳の、塚の上に五輪塔の損壊したものがあった(1)。
大イチョウ
境内にある大イチョウは市の天然記念物に指定されている(7)。
供僧
飯泉観音の供僧を参照。
寺紋
寺紋は七曜(写真参照)。山門に菊花・五七桐。(2019年調査)
年中行事
『風土記稿』には、毎年正月・6月・12月の18日に境内で市が立ち、日用品が取引されている旨がみえる(1)。
初観音
1月18日(7)
四万八千日
8月10日(7)
大としの市(だるま市)
例年12月17・18日に境内で大としの市(だるま市)が開催されている。
- 1970年の『全国寺院名鑑』には「大としの市」としてみえる(7)。
- 2017年 - 2021年にもだるま市が開催されている(5)(6)。
リンク
- 「小田原市飯泉 飯泉観音 勝福寺のおびんづるさま」小田原の端々、2013年5月8日
- yummy21「小田原市飯泉 巨木めぐり 勝福寺の大イチョウ」小田原な日々、2011年8月30日 ほかにも関連記事いくつかあり
- 猫のあしあと「勝福寺。唐から渡来した観音像、弓削銅鏡開基」更新時期不明
- YouTube 「飯泉観音」で検索した結果
参考資料
- 『風土記稿』
- 『風土記稿』 千代村 飯泉観音堂蹟
- 小田原市文化部文化財課「飯泉山勝福寺(飯泉観音)」小田原市公式サイト、2016年4月28日
- 亮盛『坂東三十三所観音霊場記』巻2 コマ12-17、明和8年(1771)刊、国立公文書館 内閣文庫蔵本
- 「関東一早い飯泉観音「だるま市」ほか小田原市内4寺院で年末の風物詩」レアリア、2017年12月20日
-
ありがとう連絡会
- 今年の締めくくりと新年の祈願に「だるま市」に出かけませんか? 2018年12月12日
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- いよいよ年末!小田原・あしがらエリアの「だるま市」 2021年12月6日
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.418
- 寺院総覧編纂局『大日本寺院総覧』明治出版社、1916・大正5、p.555