江戸期から波が穏やかな湾、深い港に北前船が寄港。幕末にはいち早く黒船がやって来ました。明治の国策から日本製鋼所新日鐵住金が長く経済を牽引。90年代に三菱製鋼室蘭特殊鋼が東京から移転。室蘭だけの生産体制を実現。

人口半減下で知恵を絞り学校や保育施設 が統廃合、公共施設を大切に建て直すなど情勢に負けていません。川崎近海汽船が2018年に室蘭ー宮古間のフェリー室蘭航路就航を計画。外国船の越冬整備を誘致し、新たな国際港の顔を見せます。

半島の外側には複数の漁港が整備され、近隣から良質な農産物が供給されます。移住大歓迎。 津波対策も自前。地元紙室蘭民報が自治を励まします。
 


新生代の火山活動でできた溶岩の島を砂州がつなぐ陸繋島は日本で最も深い港。夕張の石炭、周辺の砂鉄と深い港は明治の早い時期から製鉄産業を発生させました。その後、関連してセメント、石油、造船など、港を生かした産業がそだちます。

太平洋戦争までは軍需で、最も繁栄し、戦後も高度経済成長を先取りする産業の発展を見ました。同時に人口密度は国内有数となり、近代都市が抱える問題も先取りして起こります。

病院、福祉、学校教育機関、社会教育機関、消防、上下水道、ゴミ処理などの社会基盤の整備についても北海道有数の速さと新しさをもって取り組んだ街です。

時代は下り、産業構造や需要の変化により、大企業の人員削減はは甚だしく、最盛期の半分以下の人口となった今、公共施設の充実と統廃合、市民と行政のパートナーシップ、民間資本や人材の公共活用などを先駆的に取り組んだ街としての評価が始まっています。一度廃炉を決定した新日鐡の最後の高炉の火が消えずに北海製鉄株式会社が引き継ぐ形を実現しました。当時の市民、行政、新日鐵と三菱グループがそれぞれ強い思いを持って室蘭の高炉を守っています。


室蘭の港は数年後のフェリー航路復活に向けて、再び動き出しました。
 

 


 

輪西で市民会館が活きる室蘭の港草太郎の草太郎
 


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