酒匂川
神社(じんじゃ)とは、神(かみ)を祀った社(やしろ)のこと。 日本には大なり小なり数多くの神社があり、多種多様な神が祀られていて、年・月・日ごとに参拝する習慣がある。神社の中には有名な神社もあり、大まかな種類なども比較的よく知られているが、祀られている神がどのような神かや、神社の由緒などにはそれほど関心が持たれていない。(1:3-5) 神の種類 記紀神話に登場する神 『日本古代史「記紀・風土記」総覧』〈別冊歴史読本55〉(新人物往来社、1998/3)によると、『古事記』の上巻には267柱、中巻にはそれに加えて新たに1柱の神が登場し(同じ神の別名を含む)、『日本書紀』の本文には66柱、「一書」には115柱の神が登場する。このうち『古事記』と共通する神の数は本文に56、一書に56あり、一書独自の神は59ある。2書を合計すると、267+1+59=327柱の神が登場する。(1:21-22) 同じ神の名前でも、『古事記』と『日本書紀』で漢字の表記が違うことがあり、『古事記』の中でも表記揺れが起きていることもある。(1:8) 記紀神話に登場しない神 2013年現在、日本の神社に祀られている神々の中には、記紀神話に登場しない神も多くみられる。例えば、八幡、天神、稲荷など。(1:22) 人を神として祀った神社も多く、天神社に祀られている菅原道真や、戦国時代の武将である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの例はよく知られている。また近代以降、明治天皇や、乃木希典・東郷平八郎などの軍人も死後に神社に祀られた。東京・九段の靖国神社には戦死者・戦没者が祀られており、各人が神扱いされていて、その数は246万柱を超える。誰かを祀るのに許可などは必要ないため、誰でも自由に祀ることができる。(1:22-23) 勧請と分霊 神は勧請によって分霊され、1つの神が別の場所で祀られることもある(1:26-27)。同じ名前の神でも、祀っている場所(神社)が異なると、別の神として認知される(1:23)。 境内社 1つの神社の境内に本殿と別に境内社(けいだいしゃ)があって、別の神々が祀られていることもある(1:23-24)。 習合 稲荷のように、記紀神話に登場しない神が、記紀神話に登場する豊受大御神と習合した(同一視されるようになった)例もある(1:26)。 沿革 古代の神道 もともと神道には社殿を伴う神社は無く、祭祀を行うに際して、祭場を臨時に設けていた(1:27)。神社のような建築物が生れた時期ははっきりしていない(1:27)。 ...
神社
飯田岡
稲葉 正則(いなば まさのり、1623年 - 没年不詳)、稲葉美濃守(いなばみののかみ)は、江戸時代前期の小田原藩主。 寛永11年(1634)、父・稲葉正勝の死去により、12歳で小田原藩主となる(7)。 寛永12年(1635)に、亡(父)母の追福のため、小田原城下・山角町(南町)の北に紹太寺を建立。寛文9年(1669)に入生田に寺地を移させ、仏閣を再建。鉄牛を招請して中興開山とした。(1) 寛永年間(1624-1644)に「名主割元役」の役職を廃止したことに伴い、寛永19年(1642)に網一色村(東町)の名主・剣持四郎右衛門に、それまでの功労をねぎらって免田1段9畝11歩(約1,921m2)を下賜した(4)。 慶安2年(1649)に、扇町の足下地蔵尊の本尊の地蔵菩薩像が霊験あらたかだと聞いて、別に一体を彫刻させ、その腹籠にしたといわれている(3)。 早川や栢山も領知しており、天和2年(1682)7月に、栢山・善栄寺に対して、今まで通り、境内(20石1斗1升9合)を寄附する旨の証状を与え(2)、早川・海蔵寺の境内(14石1斗9升)を除地としている(5)。 『風土記稿』に、元禄9年(1696)9月6日に死去し、家譜にも、同日死去し、翌7日に(東京都墨田区向島の)牛頭山弘福寺に葬られ、遺骸が紹太寺に送納されたことがみえるが(1)、紹太寺の稲葉氏の墓所の墓碑銘によると、同日は子・正通による建碑の日付で(6)、死去は他日と考えられる。法名は「潮信院泰応元如」(1)。 参考資料 『風土記稿』入生田村 紹太寺 『風土記稿』栢山村 善栄寺 『風土記稿』井細田村 地蔵堂 ...
稲葉正則